ACL断裂し、その当日に菅平高原クリニックを受診したところから、状況を紹介していきましょう。
待合室での出会い
待合室で自分の診察の順番を待っている時、頭の中は不安と恐怖で絶望の様な感覚に苛まれていました。このような怪我でと言われる事も考えられますが、初めての大怪我である予感に震えていました。
待合室でただただ泣いていたのを覚えています。なんでこんな時に・なんでこんな調子のよい時に、膝の怪我を治したい・予防したいとおもい医学部に入学したのになんで自分がという気持ちで、悲しさというよりも、むしろ悔し涙が止まらなかったのを覚えています。
そんな時に、気持ちを保つことが出来たのは、ラグビーをやっていたことで繋がることのできた仲間の存在です。たまたま自分の隣の席に座った、KOUと同じように診察の順番をまっていた、九州の大学3年生のPRの方でした。そこで初めて出会った全く面識もなかった、唯一の共通点がラグビーをやっている、そんな彼が話しかけてくれました。
彼の境遇としては、前年にどこか(足首か肩か、記憶が薄れてしまった)を怪我しずっとリハビリし、やっと菅平で試合復帰し、そんな矢先に地面と耳をすり耳が切れかかってしまったそんな状況で、クリニックを受診したようでした。
やっと復帰できたにもかかわらず、また怪我をして、また次のシーズンも無理となって彼も私以上に悲しいはずなのに、すごく明るく自分を励ましてもらったのを覚えていて、彼がいたからこそ気持ちが楽になって、今の状況を受け入れようと少し前に向けた気がしました。
あのプロップの方には感謝しているし、ラグビーというスポーツがここまで人を成長させてくれる上に、人の繋がりの暖かさに救われた思いで、ラグビーをやっていてよかったと少しはほっとしました。
診察
自分の順番がとうとう回ってきました。
何時間たったかも自分の感覚では分かりませんが、1時間は経過していたかと思います。
受傷してか約2時間程度は経過しており、膝はこの時腫れはじめ、熱を持ったそんな感じだったと思います。膝は曲がりづらく、壁伝いにびっこを引いて診察室に向かったのを覚えています。
受傷機転や痛みの部位など一通りの問診を受け、別室で膝のレントゲンを2枚、正面と側面を撮影し、再び診察室に戻ります。
そして、ふたたび、膝の確認。前方引き出しテストや、ラックマンテスト、ピボットシフトなどを確認します。このような前十字靭帯損傷の検査を知っていなかったので、その当時はなんかやっている程度の感覚でした。
今振り返って感じることは全て陰性だったと思います。受傷直後ということで自分的にも足に力が入っていた上に、医師側もまだ慣れていなかったのではないかなという感覚があります。
菅平のように医療資源が限られた状況では、脳震盪や骨折と言ったより重症な患者にマンパワーを割く必要があり、前十字靭帯損傷のように緊急性が低いものには若手が担当するのも、筋が通ります。
慣れていないなという感覚は、診察室に入った時に実を言うと感じていましたが。カルテを入力するパソコンの前に『病気がみえる』シリーズ整形外科の本が置いてあったからです。どうしてこの本一冊で感じたかはぜひこちらのページを読んでください。
そして、ドクターから宣告を受けます。
「レントゲンは問題ない。骨折もないから、大丈夫。前十字靭帯は切れているか、切れていないかはここではわからない。切れているかもしれないが、切れていないかもしれない。家に帰ったらMRI撮って、見てもらってください。」
私KOU本人としても、あまり菅平高原クリニックで診察を受けても分からないだろうとは薄々感じてはいたが、予想通りの結果というのが本音ではありました。
会計
診察が終わり、会計です。金額に関しては、保険診療で一般的な金額です。痛みが強かった時ように痛み止めと、一人で歩くことが出来ないので、松葉づえを借りました。
松葉づえに関しては、保証金は5,000円。返却は菅平高原クリニックの窓口でも、夏の期間内に返却してくれるなら、家に帰ったのちに郵送でも返却が可能とのことで、こちらにしました。
松葉杖の材質としては、アルミ製で、サイズも様々なものが用意されていました。さすがの菅平という感じで豊富な品揃えでした。
さいごに
菅平での診療は、最低限のものという認識で行きましょう。しかし、必要なものは揃っているので安心して問題ありません。また誰の診察に当たるかもその時次第です。
合宿が終わり帰宅した時にもう一度整形外科にかかりましょう。
大切な事なので、何度も言いますが
整形外科の分野は、受傷直後では診察・診断が困難です。決して医師の腕が悪いということはありませんので、不審がることはありません。