留学で感じた日米の違い①

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アメリカ留学や以前高校生時代のイギリス交換留学の経験を踏まえ、日本と欧米の生活スタイルや人間性の違いに迫っていきたいと思います。

今回はその第一弾ということで、『発言力』というテーマで、紹介します。教育の現場から、医療の現場についても紹介したいと思います。

海外留学すると、意見や質問をされる機会が多いでしょうし、ましてや日本人は分かっているかと優しさも込めて、気にかけてくれます。

そのときに、OK、YES、Goodなどの返事では寂しいと思いませんか?その時どう返事をするかなども紹介できたらと思います。

イギリスの高校では

イギリスに交換留学で行き、日本の高校と違うと感じたことを何点か挙げていきたい。


イギリス留学で感じたこと
  • 「コ」の字型で机が配置されて、先生を囲んで行う授業がある。(日本と同様に正面を向いて行うものもある)
  • 授業が各科ごとの教室で行うため、移動教室である
  • ホームルームがなく、代わりにハウスというものがある(ハリーポッターの様なイメージ)
  • 2限が終わるとハウスでティーブレークの時間がある
  • 歩くのが早い
  • 手の挙げ方がおしゃれ。
    手を頭の上まで上げる人は、立ち上がって「あてて!」ってアピールする人で、人差し指を立てたり、鉛筆を立てて振ってアピールするのが大半
  • 授業中、独り言がおおい

日本の医療でのカンファレンスとは

今回のキーワードは発言力ということで、アメリカ留学で感じた発言力の差が見られたカンファレンスでの出来事を紹介する上で、まず

カンファレンスとは何か、日本ではどのような形式で行われているかを簡単に紹介したいと思います。

意味としては

Conference カンファレンス :会議・協議会

ですが、医療の現場では、患者の治療方針や行った治療の効果を検討する、意見交換会としてカンファレンスというものが行われます。

しかし、大学病院のような大きな組織では、教授にどの様な患者で経過を報告し、今後の計画を紹介する、言わば報告会・発表会のようになっています。

こうなってしまう理由もあり、患者をグループで担当していることが挙げられます。

例を用いて紹介すると、消化器科に入院したとすると、大腸の病気で大腸グループのAが担当になったとする。この場合、大腸グループAの中で、毎日のようにチームカンファレンスを行い、さらに大腸グループの全体カンファレンスでその他のBグループ、Cグループと相談・助言をもらい治療方針を決定します。最終的に、消化器のトップである教授も含め、他の胃グループや肝臓グループなど全体でカンファレンスをします。

このため、カンファレンスを何度も重ねているため、結果として報告会のようになってしまうという現実があります。

実際のところ、このカンファレンス中は他の作業もできず時間を大幅に取られるという現実があり、学生の立場からもなにか改善できる手段はないのかと感じてしまいます。

アメリカのカンファレンス

ここで、本題の発言力という事で、まずアメリカの医療現場で実際にカンファレンスに参加して感じたことを再び、列挙していきたいと思います。

以下のリストで感じた内容は、週一回で行われる循環器の全体カンファレンスであり、位置づけとしては日本の大学の教授カンファレンスと同じ位置づけかと思われます。

米国のカンファレンスで感じたこと
  • ラフな雰囲気で進行する(コーヒー飲みながら、足を組んだり、壁にもたれかかったり)
  • 若手も上級の先生が入り組んで座る。
  • 病棟の看護師も数人参加する。
  • でも日本と同じで、上の先生はどの辺に座るかは薄々決まっている
  • 独り言が多い
  • その独り言を周りが広い、そこから議論が始まる
  • 看護師も含め、レジデント(研修医)・若手・上級医と大議論が起きる
  • 看護師が議論に参加できる以上にとても優秀
  • オンラインでビデオ通話で参加している。
  • 用事がある場合は結構自由に出入りが多い
  • 自分の持ち運びができるノートパソコンで、カルテを書いたり自分の仕事をしながらカンファレンスに参加している
  • カンファレンスの時間は長いが、時間がないと一般的な問題の無い症例はすっ飛ばす

2つの現場を経験しての発言力の差

以上のような事を留学先で感じ、どの要素が「発言力」に繋がるのでしょうか。

日本では、学校では、名指しをされて答えるシステムが多く自分から手を挙げて答えるのは小学生低学年ぐらいまでではないでしょうか?

では、どうしてこういう傾向になるかを少し考えてみようと思います。

これは、日本で生きている間に、和を乱さない、空気を読む、目立ちすぎない、このような感覚を養っているのでしょう。

これは、日本人の手順や段階を踏んで、2手3手先まで考えてしまう日本の良さとも私KOUは感じます。

一方で、欧米では分からに事や、何か感じたことでも独り言のように誰かに聞こえる程度の声で発言します。なので、日本が順序を考えて行動するとすると、欧米は出たところ勝負というのが、私の意見です。

日本では、正解を求められますが、私の留学した先では、どこまで分かっているのか、どこから分からないのかといった意見を求められていると感じましたし、そちらの方が発言しやすい環境・雰囲気と思いました。

言い換えると、日本では、周りがあってからこその自分という相対的な立場であって、欧米では自分がセンターにいる主体的な立場なのではないでしょうか。

大げさに言うと、欧米の人の方が自己主張が強いとでも言いましょうか。こういった点は、街中でも文化や人間性の違いは現れると思います。私が強く感じるのは、駅のホームと服のファッションかなと思います。

発言力の差はどこで生まれるか

では、実際に発言力の差は、どこで生まれるかを留学経験も含め、考えてみるとしましょう。

一番の差は、いかに興味を持ち疑問に思うかではないでしょうか。

欧米の留学先で、独り言が多いのは、自分の考えが口から洩れているからであり、答えを聞かれているとその答えが分からないと俄然やる気も落ちて、興味があるのはその答えだけになってしまい、話しの内容も入ってきづらいのではないでしょうか。

皆さんも、話しが長く睡魔と闘う、そのような経験があると思います。

意見を述べようと思うと、知識が無いと太刀打ちできませんし、とんちんかんな質問もできません。私がそう感じたのもアメリカのカンファレンスでガンガン看護師が意見をしていて、とても優秀だし、知識の重要さを痛感させられたからです。

しかし、発言力を鍛えるその第一歩として疑問に思う、自分が理解したところまでを述べる事から始めましょう。

そうすることで、留学した時に突然質問や意見を聞かれたときにもOKなどの淡白な返事だけでなく、その意見に自分も納得した、ここが分からないと言って話が膨らむことも間違いなしでしょう。

さいごに

たしかに、アメリカでも日本人的なおしとやかな人もいますし、日本でも自己主張強い人もいると思います。そして、それが人それぞれの個性であるので、様々なタイプがあるからこそ、人間関係というものが面白いと思います。

しかし、かといって日本で電車に乗る時に整列乗車している中で、降りる人より抜かして早く乗ろうとするのは個性ではありません。

ラッシュの時間にロンドンの停車位置が分からない地下鉄に乗車するなら、そうしていないといつまでたっても乗れないから、構わないでしょう。

「郷に入れば郷にしたがえ」

この言葉がぴったりでしょう。けっして日本人はできて、欧米の人が空気を読めない、という事ではありませんので、あしからず。

ただ日本の発言する人を冷遇したり、「あのひと発言しているよ」という空気感は私KOUは嫌いです。さらに、発言と批判が別物であることも述べておきたいと思います。そして、後者も同様に嫌いです。

この、『発言力』というものの考え方が、コロナ禍をアメリカ留学中に経験した事で、その対応や政治的な動きにも影響が見られたと感じられたので、今後紹介していきます。

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