断裂記 その1

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どうもKOUです。

私自身が負った怪我 前十字靭帯損傷の経験を紹介していくうえで、
どうして医学部に入り、どのように前十字靭帯損傷をする経緯になったのかの前提条件を説明していきたいと思います。

どうして医学部へ

以前にお話しさせていただきましたが、私自身医学部に在籍している学生です。
またラグビー歴約15年のラグビープレーヤーで、以前には都道府県の選抜に選ばれたこともあります。
そのため、かつて一緒にプレーをした仲間には、高校生の夢の舞台『花園』や、大学選手権、また現在のトップリーグや日本代表で活躍する選手が多くいます。

小学生時代に在籍していたラグビースクールは全国的に見ても強豪と言われるチームで、
ラグビーやチームスポーツの醍醐味、チームのために体を張る楽しさを学び、
怪我をしてもラグビーを始めた後悔は全くありません。
ラグビーに出会えて良かったです。

なぜそのような環境で医師を目指すようになったかという理由も、きっかけはラグビーにあります。
中学校に進学した際に、ラグビースクールで継続するか、中学校の部活でラグビーを続けるかという選択になった時、
私は中学の部活を選びました。

挫折は突然に

そして、1年後のラグビースクールの春合宿に参加することになり久しぶりにチームメイトとラグビーができることに。
当時、部活でも1年生ながら上級生のチームに入り3年生と試合などもしていいたため、自信はありました。

しかし、1年間でスクールのチームメイトは、遥か向こうのレベルにまで達していました。
ラグビーでは基本にあたるヒットの練習で、こいつらには勝てないと感じてしまい、
恐怖すら覚えたのを今でも明白に記憶しています。

そして、当時スポーツ医学というものが注目され始め周りの友達にも前十字靭帯損傷や骨折など、
スポーツ中の怪我により復帰まで長期間離脱をしなければならない現状を間近に見ており、
この状況を変えられないものかと疑問に思いはじめていました。
そして、この怪我する人達の助けになれないか、もっと早く復帰できる術はないのか、
そもそもこの怪我を防げないのだろうかと思うようになりました。

スポーツ整形の進歩

また、自身が小学5年生の頃、試合中にラックという密集の中で下敷きになり内側側副靱帯という
膝の内側にある靱帯を損傷した経験が重なりました。

現在では、整形外科とスポーツ整形と2大看板の様に扱われていますが、
その当時は全く未発達の分野であり、最初にかかった整形外科では、石膏で右足を太ももから足先まで固定し、
安静3か月と診断されました。

重いし、曲げられないし、圧迫で痛いため普通に生活することも困難で、
体を動かすことが好きなKOUにとって、大変苦痛な一週間でした。

現在の医療では考えにくいかもしれませんが、ほんの10数年前の話です。
現在では、1年間の間に今まだに蓄積された医学知識の6倍以上の量に膨れ上がると言われていますが、
医療の進歩・進化というもののスピードの速さに驚かされます。
(医学生としては、覚えることが多くて、やめていただきたいですが・・・笑)

そんな中、友人のお父様であり、当時スポーツ整形に取り組んでいる大学病院の先生に診察していただけることになり、自分の人生を左右する恩師との出会いとなるのでした。

この続きはまた、次回に。

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