どうもKOUです。
今回は断裂記その1の続きとなっています。
運命の恩師との出会いから紹介していきたいと思います。
こちらが、私の医学部を目指すきっかけにもなった人生のイベントとなっています。
恩師との出会い
石膏で固められて、はや1週間後、とある大学病院の整形外科にかかる事になりました。
その病院では、スポーツ整形に取り組み、スポーツチームのチームドクターなども多く抱えるような病院でした。
そのドクターこそが、KOUへ医学の面白さを最初に教えてくださった恩師にあたります。
当時では、固定して安静にするという処置が一般的かと思いますが、石膏ギブスを見るや否や、
「そんな古い医療ではダメだ。ましてや、アスリートなら使えるものまで全部悪くなってしまう」といった
ニュアンスの言葉の後、すぐギブスを切断してくださいました。
膝の内側側副靱帯の怪我であったため、内側が伸び切らないように金属が入ったサポータを装着し、
歩いたり曲げたりが可能となり、その後1~2カ月でラグビーに復帰できました。
当時のKOU少年は、1つの怪我でも様々な治療法があり、
その患者のニーズや運動機能など患者の容態に応じた、医療が行われており、
それにより患者のQOLが大きく左右される事に大変感銘を受けたことを覚えています。
たとえば、同じ病気・怪我であっても痛みの感じ方は人それぞれだと思いますし、
病気に対する考え方も全く同じという人はいないと思います。
医療はオーダーメイドだと自身の怪我の経験や、病棟での実習中などで強く痛感するものです。
そして、動かせるものは動かそうという、現在の早期離床・早期リハビリの重要性を取り入れていたのも、
今振り返ると革新的なことだったのではないかと感じてしまいます。
医学部を目指す
その後、中・高とラグビーを続けていきました。
高校に進学したころから、ラグビーでは生きていけないしと将来の事を考えるようになったときに
そのラグビーをやっている仲間を医療の面から手助けする事が出来るのではないかと真剣に考えるようになりました。
KOU自身も、多くの怪我を経験し病院にかかることが多かったが、
「この先生達は怪我をしたことないのか? 痛いと言っているのになんで痛いことするの?」
と思うこともあり、自分なら痛みを知っているから寄り添えるのでは、
と浅はかな考えを当時持っていたことも事実になります(笑)
そこで、受験しようと思い立ちましたが、思うだけでは医学部に入れはしません。
しっかり1年間浪人生活を経て、無事に医大生になることができました。
この辺の受験の話もいつかしたいとはおもいますが・・・
その1年に関しては、誰にも負けないぐらい勉強はしました。
ラグビー部へ入部
無事に入学した後は、医学部部活にとっては一大行事といえる、新歓活動が始まります。
浪人のブランクなどもあってまたラグビーをやりたいなと思っていたので、
ラグビー部に入る事は、ほぼ決めていました。
そして、ラグビーの経験も10年以上あったので、気楽な感じでのんびり、ゆったりレクリエーション程度に
プレーできるものかなと甘い考えを当時はもっていました。
が、大間違い。
やっぱり、ラグビーは楽しいし、本気にさせてくれるスポーツですね。
そして、医学部のラグビーって想像以上にレベルが高い!!
この辺の医学部ラグビー事情は、次回断裂記その3につづく。